青いカーテンのホテル。 |

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2018年 06月 08日
![]() いつも、「こんなものがありました」的な写真の撮り方なので、構図を気にすることがまったくなかったので今となっては恥ずかしいですが^^; 私が初めて自分でフロントと交渉して泊まった中国・広州のホテルの一室です。この古さ。30年以上前なのでもう今は建て替えられているだろうなぁ(´。`) 青いカーテン(笑)。ベッド上の蚊除け?はきっと洗ってないだろうから使わなかった。 さて、このホテル、1泊34.8元(日本円で当時約2千円)。後になるとコレが少し高かったのが分かるのだけど、服務員(従業員)さんが親切だったのと、2日後桂林までバスで朝早く出発するため、どうしても駅近くのココに泊まりたかったのでよかったと思う。 部屋の鍵は渡されず、服務員さんが廊下に居て私が帰ってくると開けてくれる仕組みだった。 自分に「開門(カイメン)」と言え・・・と筆談で教えてもらった。何度もお世話になっていると、「一路平安」とか「旅遊 注意安全」とか書いてくれ、荷物の心配もしてくれていた。このおばさん服務員さんには、旅の始めのよい思い出をもらい今も感謝しているのだけれど、出発のとき出会えずお礼が言えなかったのが心残りだった。 テレビ台の中に当然(!)冷えていないビールとジュースがあって、「可笑可楽」と書いてあったコーラもどきは薬草みたいな味だった。この先もずっと、どこに行っても冷えたビールには出会わなかった(笑) チェックアウトのとき、この「可笑可楽」を飲んだことを精算してもらおうとすると、要らないとカウンターで言われた。(宿泊代は前払い) どうやら、前日私と「日本語で部屋代の精算をどう言う(発音する)のか?」(この会話はゼスチャーと筆談です)を尋ねられワイワイあれこれ言って書いて私の実演(!)を交えて数人で笑っていたので、サービスのつもりだったらしい^^;しかも私が手に持っていた2角(約10円)を取って5角返してくれたf^_^;) ▲
by riyo-009
| 2018-06-08 16:01
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2016年 03月 03日
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by riyo-009
| 2016-03-03 17:10
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2014年 10月 03日
![]() 上海、南京東路の店で買った上着。 ▲
by riyo-009
| 2014-10-03 12:25
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2011年 03月 03日
自分の人生において、「やっておいて良かったこと」の筆頭に挙げられるのが、50日程のこの中国旅行だったと思う。
なにより(偶然にも)、中国国内の社会情勢が良かった時期だった。外に向かい、改革開放路線に沿った、外国人熱烈歓迎だったように思う。当時、限られた都市に行くためには、中国の外事科で旅行証を発行して貰わなくてはならないハズだったが、申請に行くと急に撤廃されていたようで驚いた覚えがある。思えば、本当に外国人が旅行しやすい時期だったのだろう。 3月3日、伊丹空港からソウル→台北→香港へと、なんと6時間以上かけて到着。大韓航空だった。。。^^; ![]() 香港から深セン(圳)へ。3月4日。 25年前の深セン(圳)。 まだビルも少なく、この後経済特区として発展していくとは思わなかった。。。 「旅行者は、それ以外何ものでもない。なら、そうであることを楽しもう」 25年前の私は、そう日記に書いている。 ▲
by riyo-009
| 2011-03-03 12:05
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2009年 03月 22日
![]() 小雨に煙る漓江の景色は、まるで墨絵の世界のようだった。 けれど、私がしていたのは、船の中で知り合った武漢(ウーハン)のご夫婦と大理(ターリー)の少数民族のご夫婦(お子さん連れ)との5人でのトランプ。なぜトランプをすることになったのか覚えていないけれど、みんなで笑っていた時を思い出す。 特に終始丁寧に筆談で尋ねてくれた武漢のご夫婦は、ご主人が先生で奥様はどこかお勤めの方らしかった。私はこの漓江くだりで武漢のご夫婦に大変お世話になったのだ。この頃はまだ旅の初めで、お名前も住所も聞き忘れ、一緒に撮った写真も送れずじまいになってしまった。 船は進み、甲板で眺める漓江風景の説明アナウンス(中国語)が解らない私に、2組のご夫婦はゼスチャーを交えて「この風景は○○の形に似ている」とか説明してくれるのだが、果たして私の理解は合っていたのだろうか!(笑) ![]() 途中の船着き場で船が一時停船したときの話。 「ここで船を降りて、あの岩山に上ってきなさい。写真を撮ってあげる」 (とたぶん言っておられたと思う) 「え~、でも~、もし船を降りてる間に出発しちゃったら・・・」 (と言う私の日本語は通じていないと思う) 「ほらほら!」 (らしき中国語で促される) ![]() 急いで船を降りて岩山に上る私。。。 船の方を見下ろして焦る、焦る(心配)。 で、なんとか無事に戻ってこられたよ~~;; 漓江下りを終えてバスで桂林に戻る時、ひまわりの種を私のポケットに入れてくれるやら、サトウキビや果物をくれるやら、武漢のご夫婦は私に気を遣ってくれたのだった。 帰りのバスは筆談も出来ないほどの揺れようで、疲れた私は座席の背にしがみつきながらウトウトしていた。 外の景色は、夕陽が桂林特有の突起した岩山の間をこぼれ降るように差し込んで、バスの移動と共に移っていく。幻想的だった。。。 これは夢??いや違う。カメラも取り出せないほどの揺れに撮影はあきらめたけれど、なんとしても憶えておきたい風景だった。 ▲
by riyo-009
| 2009-03-22 00:43
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2008年 05月 31日
時々お邪魔させていただいているブログ、「たっきーの餃子部屋in香港」さんの記事『和平飯店は今』によると、上海の和平飯店が1年以上前から改装中といいながら(今のところ)閉店になっているようです。
和平飯店には泊まったことがありませんが、このホテルのジャズ演奏は結構有名で、私も行ったことがあります。 ![]() 上海でお宅に招待してくださったTさんやOさん夫妻が(確か)連れて行ってくれたのですが、若向きというよりは年配向きな感じの、どこか懐かしいオジサンたちのジャズ楽団(!)でした。 ![]() 和平飯店に泊まろうとは、バックパッカーの身では畏れ多くてチャレンジできませんでしたが、今となっては泊まってみたかったですねぇ。。。 ちなみに、上海で泊まっていたのはココ、浦江飯店のドミトリー。 一部屋に10ほどのベッドがあって、自分のスペースはベッドの上のみ。1泊9元(当時の料金で450円ぐらいですか)でした。 ![]() 3階から外白渡橋を臨む。 浦江飯店のレストランで、フランス人のおじさんと相席になったのですが、私が「お薦めは??」とウエイターに頼んだものがそのおじさんの方へ。私にはとっても地味なお料理が。。。変だなぁと思いつつ、2人とも食していたのですが、気づいたウエイターが「アイヤ~~(^^;)」と言って謝ってました。どう見ても高そうなお料理はフランス人のおじさんにいっちゃいますよねぇ。。。 ▲
by riyo-009
| 2008-05-31 12:47
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2007年 06月 06日
![]() 距離 4,079km 料金 特快硬臥(特急2等寝台)当時100.4元(約5,500円) 旅行の中で切符を買うことは難しい。 窓口までの行列に混じって1時間以上、やっと窓口に辿り着いても「明天(ミンティエン・明日)」。3日間、同じことをしたこともあった。 この時も1日目は取れず、翌日は窓口まで来てから別の窓口(軍人・教師用だった)へ行けと言われ、そこへ行って恐る恐る「対不起(トゥイプチィ・すみません)」と言いながら行き先・火車番号を書いた紙を見せて、切符を手に入れたのだった。 乗り込んで、周りの人とはまた筆談だった。 なにも話すことのないときは、ぼんやりと窓の外を眺める。 火車の線路に沿って渓谷の下、黄土色の川が流れ、土壁の家の白い花咲く木が見える。 向かいの寝台の中国人のKさんが、「杏花」だと教えてくれた。 南京で、烏魯木斉から乗っていた多くの学生が降りていった。 帰国して知ったのだが、南京にはちょうどその頃「南京大虐殺記念館」が出来ていたのだ。 私によく話しかけてくれた学生のYさんも、どこへ行くのかを私に言わなかったが、たぶんそこを見に行かれたのではないかと思う。 私はその時、(南京に記念館があったのを知らなかったのだが)南京を火車で通り過ぎるだけでも緊張していた。「過去は過去」とは、その時もやはり今でも、とても思えないのだ。 そして、上海に着くころ、この4日間私とは一言も話さなかったおじさんが、持っていた段ボール箱から小さなリンゴを二つ取り出して、私にくれた。よい旅を謝謝。 追記 ▲
by riyo-009
| 2007-06-06 16:50
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2007年 02月 28日
![]() 「龍門」に行こうと思うのだが、バスターミナルに何台もバスが停まっているのに、行き先が書いてない。。。 しかもどのバスが動き出すのかも分からない。。。 外国人の私が分からないなら仕方ないのだが、同じように中国人の方々もウロウロと迷っている。ああ、私だけじゃなかったヨ。 数人乗っているバスに乗り込んで待っていると、隣のバスのエンジン音が!!で、みんなぞろぞろ移っていく。私も遅れじと乗り込む。。。こんなこと、2,3度しましたって(笑)。 観光より、こんな状況が妙に後になっても憶えているものですわ。 ![]() 昆明の「龍門(ロンメン)」から見る大きな湖(別名・昆明湖。ホントは「さんずい」に「真」って書く、湖の名前なんですが。)の眺めは格別でした。いや、なにせ、登っていくのが大変でして^^;。 花亭寺 ![]() 帰りは花亭寺までバスが行くのだけれど、それ以降が分からない。帰れない?? 適当に停車しているバスの中に居る人に地図を見せて「昆明飯店(に行きたい)」と指さすと、何やら2~3人で相談?した後、乗るように言われた。 で、乗って気がついたのだけど、このバスは貸し切りのマイクロバスだった(補助席付いてた)!運行バスじゃないよ!!! しかも着いた所は、別の観光地「大観楼」。。。。 バスの中で筆談していると「一緒に」ということになったのですた。いいのか!! とうとう私も団体(ある省の国営社)の一員のように見て回り、写真も撮ってもらっての楽しいひとときを過ごし、ホテルまで送ってもらったのでした^^;。 後に写真と手紙を、この時いつも一緒にいてくれたCさんというお姐さんが送ってくれたのですが、驚いたのは、次の日も私のホテルまでバスで誘いに来てくれていたことでした。私は出掛けた後だったようです。この方たちの会社は、日本とも関わりがあったらしく、日本語の通訳の方が会社にはおられたとかで、手紙も日本語訳付でした。 ![]() たぶん、日本人の私が親切にしてもらえたのも、Cさんたちが少なからず日本との繋がりを大事にしてくれていたからだと思います。 Cさんは私より8歳年上の(お子さんのおられる)お姐さんで、「友好姐妹」と書いていてくれていました。 【追記】 雲南省 昆明(クンミン)は「春城」と呼ばれ、年間を通して気候は温暖だといいます。 省としてはベトナム・ラオス・ミャンマーと国境を接する中国最南の省であり、10以上の少数民族が暮らしています。 私が滞在したのは3月中旬の6日間(石林(シーリン)観光も含む)でしたが、暖かく過ごしやすかったです。また、石林で見た夜空はすばらしかった。私は行きませんでしたが、大理(ターリー)、西双版納(シーサンバンナ)へ行く旅行者もありました。 昆明~成都間の成昆鉄道(と、今も言うのか?)は、火車旅行としては険しい山岳部を走り景色も最高と聞いていたので是非乗ってみたいと思っていましたが、切符が取れず断念。飛行機(飛机)で成都へ移動しました。 ▲
by riyo-009
| 2007-02-28 17:28
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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2006年 10月 11日
![]() この「鳴沙山」には2回行ったのですが、1回目はなぜだったか香港人グループ(男性3名、女性1名)の自行車(自転車)部隊(?)に混ぜてもらって、「連れて行ってもらった状態」で辿り着きました。 日記には「白馬塔(記憶あり)や敦煌古城跡(記憶なし)も行った」となっているので、香港人の皆さんには随分お世話になりました。自転車も足が届かない、しかも前に棒のある乗りにくいものだったので、最初は支えてもらって乗っておりました(迷惑この上ない・・・・)。 ![]() この山(砂?)の中には「月牙泉」という泉があります。上から見ると、なるほど三日月の形とも、牙とも見えるんですよ。 ![]() もちろん、ラクダにも乗ってみました!(写真は私ではありませんが・・・) 貸し自行車代・ラクダ代・昼食代合わせて、3.8元(200円ぐらい)の『割り勘』でした。 NHKの「シルクロード」という番組(ちょっと古いですが・汗)がありましたが、きっとココに来たらその主題曲を思い出すだろうなぁと漠然と思っていたのですが、正直言って、まるで思い出せませんでした。 喜多郎の曲は日本人が行ったこともないシルクロードに対して、郷愁のような想いを呼び起こしてくれる曲なのかも・・・と私は思うのですが、内陸のシルクロードでは乾いた気候とイスラムの音楽(火車の中では大きなラジカセから流れていた、曲とも言葉とも区別できないような)が印象的でした。 ![]() 鳴沙山の東の断崖に掘られた石窟が「莫高窟」です。 【追記】 莫高窟にはカメラを持って入れず、預かり所に預けることに。 失敗だったのは、どの窟を見たのか番号を控えていなかったこと。絵(写真)はがきが売ってあるので、後でそれに記してある番号で確認できたのに。。。 中国人の団体さんに便乗していた(まぎれていただけです)ので、ガイドさんの説明はもちろん分からず(涙)。 【追記】そして事件が起こったのだ! ▲
by riyo-009
| 2006-10-11 16:46
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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Comments(6)
2006年 05月 28日
街角から路地へ
![]() もう、どこの駅だったか分からない。 知り合った誰かを駅まで数人で送っていった。 そこに日本人らしき人が通りかかった。 話し出した切っ掛けも覚えていない。 「これからどこに行くの?」 「北京。どこ行くの?」 「今日は見送り。じゃあ私は反対だな~。ウルムチの方。」 あ、ここはもしかして西安だったか。。。 「じゃぁ、また!」「うん、また!」 もう出会うはずがないのに、「じゃぁ、また!」って言うよね。 誰なのかなんてどうでもいい。 交差した道の一点に立って、同じ時そこに居た偶然は「じゃぁ、また!」を言うために出会ったのかもしれない。 ▲
by riyo-009
| 2006-05-28 02:22
| 旅(中国旅行の想い出 1986)
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